こんにちは!やまざき彩音です。
保育園が休園になり朝から晩まで子供が
喋り続け、家の中を走り回っています。
本日は
サイコパス傾向があった父の私への執着
について書いてみようと思います。
父はすでに他界しているのですが
不謹慎ではありますが亡くなった知らせを聞いた時
「解放された」
と思ってホッとしました。
父は昭和の戦前生まれで、現在でも男の子の
なりたい職業のベスト5には入っている仕事に
就いておりました。
そんな事もあり、ド派手に遊んでいたようです。
私は一人っ子で大事に育てられたのですが
小学生位になって気づきました。
あれ?父親ってこんなに娘にベッタリなの?
と。
- 暴飲しすぎで身体を壊して病院行くのも
私を連れていく。 - 仕事先にも私を連れて行く
(ファミリアの洋服買ってもらう) - ピアノ教室歩いて五分なのに
母の運転で送迎させる - 部活はダメだと帰宅部にさせて
真っ直ぐ帰らせる
などなどございました。
暴力的な人でしたので、お酒を飲むと
母に物を投げて喧嘩になり
寝ていたのに音でビックリした私は
喧嘩を止めに入る事が多く
常に母の愚痴の聞き役でした。
しかし、父は自分に顔も性格も似ている私が
可愛かったらしく思春期には父の幼馴染の息子と
婚約させようとしたり
高校受験時も父の故郷の全寮制の学校に入れさせようと
企んでいたりもしてました。
監視ですよね。
自分の支配下に置いておきたいという・・・
父の故郷の繁華街を歩くと黒い服着たお兄様方が
父に頭下げてくるんですよね。
当時小学生だった私は父には裏の顔がある!
なんて思って日々恐怖の中で過ごしていました。
20歳前後、学生時代の時には彼氏の家に
こっそり泊まりに行った時は、すでに別居していた父が
私の居場所を探し当て電話をかけてきました。
携帯じゃなくてPHSの時代にです。
どこから情報仕入れたのか今でも謎で。
サイコパス傾向と言う言い方は正しくなくて
「反社会性パーソナリティ障害」なんですが・・・
表ズラは良かったので、先輩後輩には可愛がられて
今でも、父の後輩は何かのインタビュー記事に
父の名前を挙げてくれたりするのですが
家族、特に私は大人になってから金銭的な無心ばかりで
迷惑でしかありませんでした。
娘なんだから助けてくれるであろう、と
泣きついてきていました。
それでも、良い思い出も多少はあったので
すでに共依存関係が出来上がっていたわけです。
まず
私のように毒親に育てられて
なんとか人生を変えたいと思われるなら
なるべく親と関わらなくて済む方法を
模索されるといいと思います。
父は私を
「あなたはパパのオモチャだから
何をしてもいいんだよ」
と常々平気で言っていた人でしたので
そういう考えを持っている人は
変わりません。
私はとある方のおかげで、父の呪縛から
逃げる事が出来ました。
イトコが自死しており、その原因も
父からみのお金のせいで亡くなったと
親戚から私が責められた事もありました。
親がしでかした事を娘の私が受ける必要なかったのですが
行き場がない怒りを弱い立場の私にぶつけてきたんです。
そういったトラブルは断ち切っていかないと
負の連鎖に巻き込まれます。
どうか苦しい方が少しでも減っていきますように。